ポートランド子育て事情vol.5 ~「がんばらない」ではなく「がんばってる」

1週間特集
2018.06.08

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ある日、1歳を過ぎた女の子の母親のお宅に、お呼ばれしました。「スープをたっぷり用意して待っているわね」。彼女の口からゆったりと紡ぎ出された「スープ」という言葉は、まるで絵本の中のできごとのように響き、なんというかそれは彼女の余裕としても感じ取れるほどでした。

そして、お呼ばれ当日のこと。どっしりとカウンターを陣取る大鍋から漂う香りは、玄関にまで届くほど。キッチンはすでに程よく片付けられていて、彼女は子どもと一緒に、暖炉のための薪割り準備をしている最中でした。

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軽い世間話の後、いざ食事を、という段になり、私は誘いを受けたときのことを秒速で思い出そうとしていました。念を押すように「あなたも小さい子がいるし、手ぶらで来てね、何もいらないからね」と言われたはず(それで私は、飲み物だけを持参したのです)。そんな矢先にボウルを「はい」と手渡されて、確信します。そう、彼女は言葉通り、スープだけを準備して、待っていたのです。

「ああ!!!これでいいのかあ」
「人を呼ぶならあれもこれも、って思いがちだけど、一品でも本当にいいんだ」
「でも、自分が彼女だったら、絶対もうちょっとがんばっちゃうな……」

私の胸のうちの一人問答をつゆ知らない彼女には無論、なんの後ろめたさもありません。そして食べながら彼女は、育児で休んでいたフリーランス業を子育てしながらどうにか少しずつ再開しようと思っている旨を教えてくれるとともに、その日、いかに自分が効率よく家を片付け、スープを仕込んだかを、自慢もお仕着せもなく、それはそれは満足そうに聞かせてくれたのです。

ボウルたっぷりのスープにナン。とてもシンプルな食卓でしたが「これだけ?」というより「これでいいんだ!!」が何よりも印象的でした。“必要十分”を、目と心と胃袋で体感したその日、自分の固定概念が一皮剥けたようで、心身ともに随分と軽くなれたのです。

自分はがんばれている
そう思うことも大事

がんばらない料理、家事、育児etc. この「がんばらない」という言葉、近頃の日本では多くの分野で求められ、その方法やヒントが紹介されているように思います。私も「がんばらない」術を知りたい、その一人。でも「がんばらない」ことを意識するほど「がんばり過ぎている」自分が現れるのです。リセットするための気晴らしの外出で異常に疲れたり、質素過ぎる食卓に自己嫌悪に陥ったり。そんな時に直面した、上記「スープ事件」のママ。彼女がポートランドのスタンダードとは決していいませんが、私には絶好のタイミングと塩梅で、マインドセットのスイッチを押してくれた人でした。

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生まれたての子どもと買い物に行って帰るだけで、大仕事だった当時。疲れ果てたのちに、かろうじて作れた丼モノ一品を「質素」とカテゴライズして、遠い目を浮かべながら撃沈していた私。それは、スマホのスクリーン上で見た、どこかのママの「ていねいで素敵な」食卓と、いつの間にか同じ土俵に立とうとしていたから。自分の母親をはじめ、いわゆる「日本の母親像」が作り出す、テーブルに何皿も多彩に並んだ夕食どきの風景を、あるべき姿だと頑なになっていたから。

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でもあのスープママなら、こんな時「私は子供を抱えてスーパーに2軒も行って、丼ごはんも作った、よくやってるわ」と無理なく自分を褒められるのではないか。すぐには実践できなくとも、少しずつ、意識するようにしていきました。

「がんばり過ぎ」ていた日々を救った
目玉焼きと猫まんま

そして、私のマインドの切り替えスイッチどころか、位置や機能自体を変えてしまったのは、実は最も身近にいる夫でした。「君にはあの(日本の)何皿も並ぶ食卓が普通かもしれないけど、自分には迷い過ぎて大変だから(笑)」。そういって、ある晩「最高の目玉焼き」をメインに料理し始めたのです。フライパンとにらめっこし、蓋から漏れる音に耳を研ぎ澄まし、理想の半熟具合の黄身と、カリカリ縁の白身に仕上げた目玉焼きごはんが主役。

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またとある晩、帰宅早々に「猫まんまって知ってる?(インターネットで観た)日本のドラマから学んだんだけど、あんなに美味しそうなもの、どうして君は今まで作ってくれなかったの」と、自らかつお節を削り出した日もありました。

「がんばらなくていいから、今日は猫まんまにしよう」と言われるより、確かに「削り立てはおいしいから、猫まんまにしよう」といって作るほうが、ずっとワクワクできる。そんなテンションで楽しくなってしまう家族は、私たちだけかもしれませんが……。

空気なんて読んでくれない
言葉にしなきゃ伝わらない

小さなコーヒー屋と焙煎業を営む夫は、朝は3時過ぎに起きて夜の7時に帰ってくる、というのがここ10年以上当たり前の生活。決まった休みはもちろんない。それが定着し過ぎて、子どもができてしばらくも、そんな生活が続きました。

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しかしvol.4で触れたように、それでいいわけがない!! 平日はできるだけ早めに帰宅。週に一度は自分たちの定休日を設け、家族3人「ふつう」の1日を過ごすようになりました。例えば朝ごはんを一緒に食べたり、公園に3人で行ったり。そんな「ふつう」のことが「ふつうではない」私たちには、ささやかなギフトのような日々。

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娘が1歳を過ぎ、急速に言葉や感情を表現する能力が増え、できることが一日に記録できないほど更新されていき、とてつもなく楽しい。その一方で、自分の時間はますますないし、私だってもっと働きたい、と強く強く思うようになっていきました。

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ギフトのように思えた時間は、ルーティンとなれば幻となり、夫がいる間にいかに効率よく家事や自分の仕事をこなすべきかに気が取られる。3人での時間への優先順位が、また低くなっていくのです。加えて自営業の夫は、どこからどう見ても「全力でがんばっている」のに「もっと育児も家事もしろなんて、物理的に無理、というか、ちょっとかわいそう?」そう思い込んでいた八方塞がりの心の隙間から、行き場のない怒りマグマが溢れ出てきたのです。

私は、緊急夫婦会議を申し出ました。突きつけたテーマは「もっと子どもとの時間を増やしてくれ!」。いつもの世間話とは異なる緊張感を持って切り出したところ、「週に2日は半日、休むようにもう算段を立てている」と即答。「早めに言ってくれれば、君のスケジュールに合わせて休めるようにする。それにしても、なんでもっと早く頼ってくれなかったの?」という始末。こちらからしたら「なぜもっと早く言い出してくれなかったの??」

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夫と知り合ってすぐに気づいたことではありましたが、彼は良くも悪くも「空気を読む」ことをしません。というか、知りません。黙ってむっつりしていたら気づいてくれる、と期待していては、一生気づかれないのです。むしろ「何にそんなに一人でプンプンしているの」と逆上を誘うような発言を、全く悪気もなくかぶせてきます。「言葉にして言ってくれないとわからない。空気を読むって何???」。そんなやり取りはもうすでに、何十回と繰り返して来たはずなのに、お互い、学びが足りませんでした。

突然その日はやって来た
夫、おんぶでお店に立つ

実は夫の申し出があったにもかかわらず、私は時間に融通が利き、ベビーシッターのオンコールを(大好きな旅行時以外)120%臨戦態勢で待機している義父を、相変わらず頼っていました。10年以上、働きづめの生活をしていた彼が、明日から簡単に変われるはずがない、とタカを括っていたのです。当然な話ですが、夫はいい気がしない。私は信用できない。険悪のループ。

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そんな折に、日本から転勤してきた友達ママとこんな会話をして、あれ、と思います。彼女の旦那様(日本人)は出張も多く、帰宅は10時、11時が当たり前。寝かしつけなんてやったことないよ、とあっけらかんと言ってのけます。「私は6時でも、遅い、早く帰ってこーい、と携帯から叫んでるよ」と伝えると、「うーん、まあ日本にいた時からそうだったし、私たちのために働いてくれてもいるからねえ」。私の口からついて出たのは「そっかあ」という、ため息にも似た相槌でした。夕食後も、モヤモヤはスッキリしません。「もしかしたら彼女はそういい聞かせながら、我慢してるんじゃないかな、もっとわがままになってもいいのになあ」

「たまには、頼ったらいいのにな。あれ、これって実は私のことでもある!?」。頭ではわかっていても、行動に移せなかったり、気持ちが伴わなかったり、続かなかったり。人間、いいと思ったことをすぐにできるほどうまくはできていないもの。もしも本を読んで、誰かから聞いて、自分でひらめいて、いいと思ったことが誰にでも明日から実践できたら、きっと、本もインターネットも、カウンセリングも占いも、他愛のない世間話も、その存在価値は今のそれとはだいぶ違ったものになるでしょう。でもそんな世界、だいぶ味気ない気もする……。

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ある晩、私は思い切って、夫に言ってみました。「最近、夜の授乳がまた頻繁になって、ものすごく疲れている。仕事も日中のうちに終わらせたい。どうにかできないか」と。数日後。明け方4時頃からまた授乳で起こされて、朦朧としている私たちのところへ、すでに1杯目のコーヒーを飲み終えた夫が来て、「じゃあ連れて行くから」と娘と二人で去っていったのです。まんまと二度寝をした数時間後、携帯にメッセージが届いていました。

「Everything is fine. We are doing okay」。時におんぶしながら、カウンターでお絵描きさせたり、ホットミルクを飲ませたりしながら、なんとかやっている、と。彼が娘同伴でお店に立っていることに実感がわく一方で、私は久しぶりすぎる一人の朝にそわそわして、無駄にキッチンを2周ほど歩いていました。

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その朝からです、本当の意味でネジがゆるんだのは。夫も私も、それぞれに「がんばっている」。相手のがんばりの限界を決めるのは、本人次第。頼り頼られ、それが張り合いにもなって「がんばれている」。とりあえずもっと夫に頼ってみよう。 大変な時は大変、と躊躇することなく伝えてみよう。娘との長い一日から帰宅した夫は、相当にお疲れながらも、達成感や充実感が顔にどっしりと現れていました。

・・・・・・・

1週間特集を終えて

子どもや自分にまで、気配りも身なりも行き届いていて、家事も育児も抜けを感じさせない日本のお母さんたち。日本できちんと子育てしたこともない私がいうのもなんですが、ポートランドや日本で縁あって出会った彼女たち、私が知る限り、誰もがみーーーーんな、頭が下がるほどしっ かりしています。まだまだ、いやたぶん一生、新米母の私からすると、とてつもなく素晴らしく、尊敬にさえ値します。でもその一方で、苦しくなる自分がいるのも本音です。その完璧さを保つために、ちょっと無理しているように見えることも多い気がするのです。みんなの平均値が高いだけに、そこから漏れてしまった人たちは相当辛いんじゃないかしら。また、私の感嘆や尊敬とは相反して、彼女たちの自己評価が軒並み低いことにも、ちょっと辛くさせられます。社会のプレッシャーに他者、 そして自分の目に、がんじがらめになっていないといいのですが。

私がもし日本で子育てしていたら“デキない”母親に陥ってしまっているのも容易に想像できてしまうだけに、そうじゃない価値観や尺度もあるということを、少しでも感じ、肩の力を抜くきっ かけになってもらえたら。そんな思いを片隅に、この特集の原稿を書いてきました。

もっといい母親になりたい、という気持ちには変わりない。ポートランドでも日本でも、同じようなことを思い、悩んでいるのに差はないはずです。だからこそ、ある意味、雑で適当なこの街の母親たちの中で揉まれていると、日本のお母さんたちのたくさん抱えた肩の荷をまず 下ろし、同士として、ただただ肩をさすってあげたくなるのです。子育ては長い長い道のり。その正解も曖昧で変容するものだと思うのです。だからこそ一緒に学んだり、失敗したり、冒険したりしていきましょう。許し合って、支え合って、笑い飛ばしていきましょう。

この1週間を終えて、いろんな国のいろんなお母さん、そしてお父さんとも、もっとお話ししていきたいと思いました。これからもどうぞ、よろしくお願いします。

 

 text:瀬高早紀子 photo:砂原文、瀬高早紀子

瀬高早紀子
Sakiko Setaka

東京で編集・ライターとして、暮らしまわりの本や雑誌を担当したのち、2011年に米国オレゴン州にあるポートランドへ移住。現地で「COURIER COFFEE ROASTERS(クーリエコーヒーロースター)」を営むジョエルさんと結婚、出産。お店では、季節限定のかき氷を担当。
https://sakikosetaka.tumblr.com/
Instagram「@sakikostkd

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