漫画家・ヤマザキマリさん 心の「タガ」の外し方 Vol.2

暮らしのおへそ
2016.04.06

心の「タガ」の外し方 Vol.1はこちらから

 

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ヨーロッパのひとり旅から帰国後、日本という枠、学校という枠、周囲の枠の中で生きることに違和感を覚えたヤマザキさんは、大好きな絵を学ぶために17歳で単身イタリアへ。当時の日本はバブルの絶頂期で、日本から押し寄せた観光客が、ブランド品を買い漁っていたのとは対照的に、極貧生活にあえいでいたそうです。

「電気もガスも水道も止められて、屋根ありホームレス状態。つねに空腹でしたね。でも、胃袋を満たせない代わりに、貪るように本を読み、映画を観ました。当時、同棲していた恋人の詩人に連れられ、毎日のように通っていた文壇サロンで勧められるままに」

そこには、イタリアの文学者や南米からの亡命者など、自己主張の強いアクの濃い年配の人たちが集い、日々議論を交わしていたそうです。

「討論なんて苦手でしたが、『何か言えよ』と言われて、少しずつ自分の考えをアウトプットすることを覚えていきました。『私はそうは思わない』と言うことは、相手を否定することではなく、納得したい、相手を理解したいということ。対話はそこから始まります。自分ひとりでは思いもよらなかった考えに触れたり、触発されることで、新しい展開が開けていく。人とコミュニケーションすることで、はじめて知識や教養というのは鍛えられていくんです。当時の脳みその新陳代謝たるや凄まじかった。自分の脳細胞が増殖していく感覚が心地よかったし、描く絵も変わっていきました。このときに出会った人や本、映画から得た知識と教養は確実に糧となって私を支えてくれたし、今でも支えてくれています」

人間、腹を括れば やってできないことはない

当時の生活を、浮世離れした反社会的な暮らしだったと振り返ります。そんなヤマザキさんが現実の世界へと戻るきっかけとなったのが妊娠、出産でした。10年一緒に暮らした詩人と別れ、シングルマザーとして生きるために29歳で日本に帰国。「日本人なんだから漫画を描いたらいい」と友人に勧められるまま細々と漫画を描きながら、日伊協会で働き、大学でイタリア語を教え、テレビに出演したりと、10足のわらじ状態で大忙しだったと笑います。

「子どもを飢えさせないために、何でもやりました。人間、腹を括れば何だってできます。何かやっていれば、きっとなんとかなるだろうと。行動力を持つって大事ですよ。立ち止まっていたら入ってくる情報には限界があるので、脳みその密度は濃くなりません。常に“動きながら考える”ことをしていれば、自信という質感のある勇気が芽生えてきます」

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現在『新潮45』で連載中の『プリニウス』(新潮社)は、再び古代ローマが舞台。漫画家のとり・みきさんとの共著で、ふたりで話し合ってストーリーを起こし、まずはヤマザキさんが人物を、それを受けてとりさんが背景を描くという漫画家同士の合作は珍しい。

『暮らしのおへそVol.21』より text:和田紀子 photo:興村憲彦

Profile

ヤマザキマリ

Yamazaki Mari

1967年東京生まれ、北海道育ち。17歳でイタリアに渡り、フィレンツェの美術学校で油絵と美術史などを学ぶ。1997年に漫画家デビュー。イタリア人の比較文学研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカで暮らし、現在は北イタリア在住。『テルマエ・ロマエ』がベストセラーとなり、一躍人気漫画家に。http://yamazakimari.com/

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