コーヒー焙煎人「coffee caraway(コーヒー キャラウェイ)」芦川直子さん(後編)~おいしいコーヒーと、そのまわりの心地よい空間をつくる
東京・祐天寺で、焙煎から行うコーヒーショップ「coffee caraway(コーヒー キャラウェイ」を営む芦川さんのおいしいコーヒーのおはなし、後編です。
Photo:有賀 傑 text:田中のり子
芦川さんがこの仕事をするようになるにあたり、「影響を受けた本」として挙げてくださったのは、スタイリストの小澤典代さんが2002年に編集した書籍『ベーシックライフ2』(メディアファクトリー刊)でした。こちらは、さまざまな職業の方が自分たちらしいセンスで住まっている様子や暮らしまわりのアイデアを紹介した本。その中のひとりとして登場していたのが、芦川さんが密かに「心の師匠」と呼ぶ「中川ワニ珈琲」の中川ワニさんでした。
大学を卒業したら、一般企業に就職するのが当たり前のことと思いながら過ごしてきた芦川さん。化粧品会社の営業として就職し、退職ののちテーブルウエア・キッチン・インテリア雑貨の企画販売をする会社に就職。自立できるだけの収入を得つつ、自分自身が納得するような仕事をしていきたいけれど、この道でいいのかが分からない。20代の間は、自分が一体何をやりたいのか、何ができるのかを模索する日々だったと言います。けれどこの本に登場する人々は、自分の仕事をゼロから生み出しているようなクリエイティビティがあって、芦川さんは「こんな生き方があるんだ」と、大いに衝撃を受けたそう。
「若くて世間知らずだったから」と苦笑する芦川さん、カフェでコーヒーを飲むことが好きだったこともあり、ワニさんに直接連絡し、自宅を訪ねました。ワニさんはお店ではなくとも時々お客さんを自宅に招くことをしており、芦川さんも訪問させていただくことができたのです。やがてその縁が続き、彼の開催するコーヒー教室に通うようになります。
「まるでドリップ道場のようでした(笑)」と振り返るコーヒー教室。舌と感性が超人的と言われるワニさんの元で、コーヒー論・人間論をシャワーのように聞きながら、正確なドリップの技術を学べたことは、「店を始める自信につながりました」と、芦川さん。なぜなら焙煎人にとっては、コーヒーを淹れる技術もとても大切だからです。
「安定したコーヒードリップの技術がないと、自分が悪いのか豆が悪いのかが判断できず、豆に振り回されてしまうんです。杯数を重ねることで舌も育っていきますし、『いつもの自分の味』が確定されて、初めて豆の個性をきちんと理解できるんです」
また、ワニさんがことあるごとに話していた「コーヒーは、コーヒーらしく」という言葉は、芦川さんのコーヒー人生の、ひとつの指針になっています。
ここ数年のスペシャリティコーヒーの人気の高まりとともに、一部のコーヒーの高級化が進み、コーヒー豆を果実としてとらえ、浅煎りで甘味や酸味を強調したコーヒーが話題を呼んでいます。けれども芦川さんが「好きだな」と思えるコーヒーは、香りがよくてコクと苦みがあり、多くの人々の間で「おいしいコーヒーって、こういう感じだよね」と、共有されている味わい。と同時に、納得のできる品質の豆を適切な値段で届けられる、日常に寄り添う存在でありたい。気持ちがザワザワしてしまうときも、常にその基本へ立ち返ることを、ワニさんに教わったと言います。
芦川さんの「心の師匠」のもう一人は、銀座の老舗「カフェ・ド・ランブル」で豆の焙煎を担当している内田牧さん。2000年代初期の頃、カフェ好き、コーヒー好きな人々が集まるサイトの掲示板で知り合い、コーヒーの講習会や勉強会を紹介してくれたりしていましたが、やがて「そんなに好きなら、自分で焼いてみれば?」と、コーヒー焙煎の道へと誘ってくれたのです。
そうして芦川さんは、2005年に自宅で焙煎を開始、翌年からイベントでのコーヒー販売やインターネットでの通販を開始します。それまでも職人やもの作り作家に憧れて、編み物や織物をしてみたり、ミシンを踏んでみたり。カフェを開業してみたいと、あれこれ手を出してもがいていたことも。夢見がちで、若干空回りもしていたそうですが、「唯一ドアを向こうから開けてくれたのは、コーヒーだった」と、芦川さん。自分なりにそのつど努力をしてなかったわけではないけれど、「人から求められたこと」「人から誘われたこと」に「自分もやってみたい」が重なることを続けてみたら、コーヒーだけは自然と道が開けていき、いつの間にか今のような状況になっていったのだそう。
やがて自宅での焙煎に限界が来たのを機に、2008年東京・上目黒に焙煎所兼喫茶室として、店舗をオープン。けれど駅からも遠く、せっかく訪ねてきてくれた人にきちんと対応できる場がないと、改装を行うなどの試行錯誤も。そしてその数年後の2015年に現在の場所に店舗を移転しました。
「店舗を構えて、いちばん大きかったのは仕入れ先やお取り引き先の方々の対応が変わったこと。きちんと看板を掲げて、『自分の場所はここ』と表明したことで、『本気なんだ』と、一人前として認めていただけたという感じです。友人たちもインターネット販売時代から、もちろん応援してくれていましたが、『来てね』と胸を張って言える場所があるのは、すごく大きな励みになりました」
「コーヒー キャラウェイ」には、芦川さんのさまざまな交友関係が見受けられます。物販の棚に並ぶ古本は、学芸大学の古書店「サニーボーイブックス」がセレクトしたもの。店内に生き生きとしたリズムをもたらしてくれるのは、ご近所のフラワーショップ「イロトイロ」の花活け。カウンターには「コーヒーに合うスイーツを」と、五本木の「パティスリー・スリール」、横浜「焼き菓子キナリテ」の焼き菓子が並びます。店舗の床のタイル風の模様は、アートユニット「グセアルス」の作品。
自分はコーヒーマニアではなく、「コーヒーを飲む時間」「コーヒーのまわりにあるもの」を含めた、「コーヒーの世界」が好きなのだと話す芦川さん。作るものの先に、ものや時間、人との関わりが生まれていくことが、仕事のモチベーションにもなっているようです
「『おいしいコーヒーのそばに、本と出会える機会があるといいな』『じゃあ知り合いの古本屋さんにお願いしてみよう』と次々にアイデアが浮かんで、それを形にしていくのがすごく楽しいんです。自分にとってはコーヒーが人と関わるツールになれたんです」
コーヒーには人の数だけ正解があり、求めればいくらでも上を目指していける世界。ただただコーヒーが好きで、憧れていた世界に、気づいてみると自分も足を踏み入れていた。それがうれしくもあり、身が引き締まる思いでもあり。けれど一生楽しんでいける仕事だという確信は、しっかりと芦川さんの胸に刻まれているようです。
Profile
芦川直子(あしかわ・なおこ)
会社員を経て、2005年より自宅でコーヒー焙煎を開始、2006年よりインターネットで販売をスタート。2008年に東京・上目黒に「coffee caraway」をオープン。2015年五本木に移転。実店舗で焙煎・販売を行いながら、出張イベントや豆の卸販売なども行っている。
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