昔ながらの職人技で作られる「ASAHI(アサヒ)」の キャンバスデッキシューズ
~「OEUVRE(ウーヴル)」より vol.21~
久留米には、昔から靴が作られているふたつの大きな工場があります。この地でお店を始めて、少しずつ知っていった久留米の歴史や文化。それを語る上で、この工場の存在は欠かせないことがよくわかりました。
「ムーンスター工場」と「アサヒ工場」。久留米ではもちろんほとんどの方が知っている工場ですが、他県の方でも学校の上履きのメーカーとして記憶がある方も多いと思います。
そんな久留米での靴作りのはじまりは、なんと足袋にゴム底をつけた地下足袋。それがスニーカー作りへと発展し、今やファッション雑誌の1ページを飾ることもしばしば。
今回はその2つの工場のうち、筑後川に面し、古い洋館のような独特の雰囲気を持つ、1892年創業の「アサヒ工場」で作られるスニーカーをご紹介します。
遡ること1935年、アメリカではポール・スペリーという人が犬の足からヒントを得て、ソールに波形の切れ込みを入れたデッキシューズ「スペリー・トップサイダー」を誕生させました。それは濡れたヨットの上でも滑らないという特徴を持ちながらファッションにも取り入れられ、1960年代のアイビースタイル全盛期には頻繁に登場するキャンバススニーカーになりました。
そして1970年代の日本でもアメリカ製「スペリー・トップサイダー」は爆発的人気を博し、1980年代に入ると、これを参考に「アサヒ工場」も日本製デッキシューズ「BigBen(ビッグベン)」の生産をスタート。
それはアメリカ製のオリジナルを凌ぐほどの出来栄えで、まさに日本が誇れる職人技であり、当時の「アサヒ工場」のこだわりの精神を感じ取れます。これを機に「アサヒ工場」は、様々なブランドのデッキシューズの生産を請け負うようになっていきます。
時代は流れ、アメリカのスニーカー工場はだんだんと閉鎖していきます。アメリカ製「スペリー・トップサイダー」は生産終了となり、アジア工場に移行していくことで、少しずつ美しい造形が失われ、ファンは以前の造形を求め出しました。
そしてついに「スペリー・トップサイダー」が完全復刻される時が。当時の趣を再現できる生産工場として、久留米の「アサヒ工場」に白羽の矢が立ったのです。靴作りに携わる人たちはそれぞれに担当する工程があり、そのどの工程でも、ミリ単位での追求をする大変手間のかかる作業を行っています。その造形美と機能性への追求によって出来上がったスニーカーは、日本製である価値を高らかに位置づけるしごとでした。この時、完全復刻された「スペリー・トップサイダー」をオマージュしながら生まれたのが「SOLS」のスニーカーです。
そして2017年、そんな「アサヒ工場」から待望のキャンバス製デッキシューズが発売されます。ブランド名は「ASAHI(アサヒ)」。スニーカーといえども、かつてのデッキシューズが持っていた美しい造形に、忠実な手間とつくり。生地には糊を使用せずに縫製・左右比対称になったパターン構造など、こだわりの職人技を活かした美しいキャンバススニーカーです。
現在も、昔のままの素晴らしい技術を用い、美しいデッキシューズを作れるのは世界でも「アサヒ工場」のみと言っていいかもしれません。
「アサヒ工場」の歴史や背景を改めて知ると、以前ご紹介させて頂いた、アメリカ産のタオルをオマージュした「リトル」のタオルづくりと重なる部分もあり、改めて、ものづくりの歴史や奥深さ、おもしろさを体感できる機会を実感しながら、スニーカーを履くようになりました。
そんなストーリーが詰まった「ASAHI」の発売をどうぞおたのしみに。
国内外の雑貨や日用品、服、アクセサリーなどが並ぶセレクトショップ。連載「今日のひとしな」の執筆は店主の牟田絢加さん。
福岡県久留米市野中町1270
TEL:0942-33-0107
営業時間:12:00~17:00
休:月曜+不定休(2017年から変更予定。営業日はブログとインスタグラムで確認を)
https://oeuvre.stores.jp
http://store.persica.jp
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。