「令和の家具事典」11月は【天童木工】が登場!

令和の家具事典
2024.11.02

※Come home! webに掲載された記事を転載しています

 


部屋に置いておくだけで絵になる、と人気が高いバタフライスツール。蝶が羽を広げているようなフォルムをもつ、柔らかい曲線が印象的なスツールです。デザインしたのはプロダクトデザイナー・柳宗理氏、製作したのが今月の「令和の家具事典」を担当してくださる「天童木工」です。
天童と聞いて思い浮かべるものの一つは、将棋駒ではないでしょうか? 手彫り将棋駒の9割以上は天童で生産。けれど意外にも、木工がそれほど盛んな土地ということではないそうです。どのようにして「天童木工」は創業したのか。天童木工企画課の加藤さん、後藤さん、今田さんにお聞きしました。

 

天童木工の始まりと歩み


1940年に現在の天童市近隣の大工、建具、指物といった木工職人が集まり、その前身となる「天童木工家具建具工業組合」を結成したのが天童木工の始まり。経営者による設立ではなく、職人たちの組合からスタートしているところに天童木工の独自性があります。戦時下の当時、若者たちが供出されることを防ぐために組合を組織したと伝えらえています。

1940年に前述の組合を結成し、1942年には「天童木工製作所」として有限会社に移行しています。当時の生産品は軍用の弾薬や計器類を入れる木製箱が中心で、軍が規格した通りの高い品質が認められて、受注量は増える一方でした。

 


第二次大戦中に製作された「おとり飛行機」

しかし、当時の社長・大山不二太郎と工場長・加藤徳吉はこれらの仕事に物足りなさを感じ、もっとレベルの高い仕事はないかと隣県の宮城県仙台市にあった国立工藝指導所を訪ねます。その際に受注したのが「おとり飛行機」の製作でした。敵機の偵察の目をごまかし、時には実機の代わりに機銃掃射も受けるために配置する、その名の通りおとりのための実物大模型ですが、これの製作指導に当たったのが、その後も深いつながりを持つこととなる剣持勇氏でした。

1945年の戦争終結後は、手持ちの材料を利用し「ちゃぶ台」や「木製流し台」といった家具の製造をスタートし、いわば平和産業への切り替えを果たします。

翌1946年には、日本各地に駐留する進駐軍向けの住宅を国を挙げて供給することとなり、天童木工はここで使用する家具の生産を請け負います。これが初めて洋家具に触れる機会でした。同一の家具が大量に発注されることから、機械加工を工夫した量産体制を組むなどして現在までつづく家具生産体制の基礎づくりがこの時成されました。

 


その後、いつまでもこの需要は続かないと見た社長・大山不二太郎の判断により進駐軍家具の生産を終了し、一般家庭向け家具の生産に転向します。
1947年、天童木工にとっては最も大きな転機を迎えます。
日本橋髙島屋で展示されていた「高周波発振装置」を工場長・加藤徳吉が成形合板に応用できると、社長・大山不二太郎に購入を持ち掛けたことがその後の天童木工の行き先を決定づけました。当時、国鉄の初乗り運賃が0.5円の時代に25万円という高価な機械を大山は「工場長のオモチャとして買ってやった」と周囲の反対を押し切るかたちで購入を決めます。職人の加藤の勘と、経営者の大山の決断力がその後の「成形合板の天童木工」という礎を築くきっかけとなりました。

成形合板とは、薄くスライスした木の板を重ね合わせたもの。ほどよい硬さがあり、傷つきにくい広葉樹を使い、家具づくりに適した厚さにします。天童木工が開発した成形合板は、薄くても強度を保てるのはもちろん、複雑な曲面やフォルムをつくれます。合板そのものが強く、使う材料が少なくて済むため無垢材に比べより軽い家具を実現。

 

コンセプトとデザイン

成形合板を技術の主体として多くの家具生産を手掛けていますが、その割合はコントラクト市場(法人向けのルート)用のものが多く、官公庁や企業の上級室、宿泊施設、医療施設、カフェ・レストランなど多岐にわたります。カタログに掲載される椅子やテーブルなどの規格品はもちろんですが、建築家やデザイナーが自身の設計した施設向けにデザインした家具も特注家具として多く製作。木製家具においては「つくれないものはない」という気概で仕事に向き合っています。

 


コントラクト市場向けの家具製作の中で、建築家やインテリアデザイナーがデザインした家具をカタログ製品として規格品化することも多いです。
例えば、当社の代表作のひとつ、「S-0507」は、前川國男氏が設計した神奈川県立図書館の閲覧室の為に、当時前川國男建築設計事務所のインテリア担当であった水之江忠臣氏がデザインした椅子を原型として商品化されたものです。
また、杉の集成材を削り出すように作られ、当社の製品の中では異彩を放つ「柏戸イス」は、建築家・丹下健三氏が設計したホテルのロビー向けにインテリアデザインを担当した剣持勇氏によってデザインされたものでした。いわゆるコントラクト市場に向けた家具を製造する中で、建築に合わせたデザインを具現化し、それがそのまま規格品化されるケースも多く存在しています。

デザイナーの持ち込みから規格品化されることもあります。デザイナーがその想いをのせてデザインしたかたちを実現するために向き合う中、実現性や市場性、コストなどを加味し、様々な検討を経て、製品化に向けてデザイナーと共に試行錯誤を繰り返します。当社を代表する「バタフライスツール」も、当初は柳宗理氏による持ち込みでした。

インハウスデザイナーによるデザインも多く生み出されてきました。当社の開発や設計は建築家やデザイナーと仕事を繰り返し、多くの家具づくりのノウハウを蓄積しています。1966年に発売し、現在まで販売を続けるロッキングチェア「ヘロン」は、社内デザインによるものですが、当時社内で開発された「多方向プレス機」の完成がデザイン誕生のきっかけでした。

 


 

ヒット作・代表作

■バタフライスツール(S-0521)
日本を代表するデザイナー・柳宗理氏によってデザインされ、天童木工の名を知らずとも、「バタフライスツール」のことを知っている人は多いとも言われ、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やルーブル美術館、メトロポリタン美術館など、世界各地の大きな美術館や博物館でコレクションに選定される日本の近代デザインを代表する製品のひとつに数えられます。
※グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞

 

■低座イス(S-5016)
日本建築界を代表する建築家のひとり、坂倉準三が率いる坂倉準三建築研究所によってデザインされました。和洋を問わず暮らしに溶け込むジャパニーズモダンを体現したかのようなデザイン。「低座イス」の名の通り、29cmと低く作られた座面は足を投げ出して座ることができ、広い座面は姿勢に自由をもたらします。身体に負担をかけず長時間座っていただくことができます。
※グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞

 

■座イス(S-5046)
旅館や一般住居などの和の空間を中心に多くの場所で見られる、成形合板の座イスの元祖。北欧で学び、機能的かつ美しい家具づくりに大きな影響を受けたデザイナー・藤森健次によって1963年にデザインされました。シンプルで機能的な北欧の家具作りの手法がデザインに生かされ、一枚の成形合板を三次元曲面に加工したシンプルな形状ですが様々な機能を有しています。座面の穴は座布団が畳との摩擦で滑りにくくする目的のために開けられています。同時に軽量化や反り防止の役割も果たします。1.7kgと軽く、積み重ねることができ、収納に便利なことも特長のひとつです。
※グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞

 

 ■座卓(S-0228)
天童木工の成形合板の礎を築いた技術者・乾三郎によってデザインされました。発売から現在まで数十万台もの販売実績を誇ります。美しさ、使いやすさ、そして何世代にもわたって使える丈夫さが魅力。天板から脚先まで美しくカーブする脚は、“バチ脚”と呼ぶ下方に向かって広がるラインを描いています。側面が床に対して垂直につくられているため、立てて置く際も安定感があります。
※グッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞

 

■DANシリーズ
近年のヒット作のひとつで、インテリアデザインから電化製品、モビリティなど多くのデザインを手掛ける小林幹也氏によってデザインされました。たっぷりとしたクッションの身体を包み込むような座り心地が特徴のシリーズです。

 


 

天童木工で働く家具職人

天童木工で働く家具職人は全員で約100人おり、その多くは山形県内の出身です。
そんな中、沖縄県から天童木工に入社した20代の若手職人がいます。彼は技能五輪全国大会の家具部門で最高賞である金賞を2年連続で獲得しています。中学2年生の時に自宅の木製家具を自分で修理した時、「すごく楽しく、将来は家具職人になりたい」と思い、高校2年生の時に参加した技能五輪全国大会で天童木工の存在を知り入社を決意しました。彼は、趣味も「ものづくり」だと言います。家に帰ってもパズルなど「ものづくり」に繋がる趣味を楽しんでいるそうです。

また、50代のベテラン職人は後進の育成に力を入れています。先述の技能五輪2連覇の彼はもちろん、技術を磨きたいという若手職人へどのように指導すれば良いかを常に考えています。その中で「100%のやり方は教えないようにしている」と心掛けているそうです。重要なポイントについては伝えますが、それ以外は必要以上に教えないことによって、自分で考えるようにして試行錯誤する機会をなくさないようにしていると言います。

 


また、職人というと男性をイメージされる方も多いかと思いますが、当社では約20名の女性が家具職人として活躍しています。多くは地元の高校を卒業して当社に入社します。高校時代に職場見学で天童木工に体験入社し、雰囲気が良くてそのまま入社を決めたという女性の職人もいます。

 

 

webサイトについて、今後実現したい企画など

天童木工のウェブサイトではカタログ製品として販売している全製品(約800種)をご覧いただけます。
バタフライスツールや低座イスなど、1950~1970年代にかけてデザインされた当社を代表する製品や、北欧デザインとして人気の高いブルーノ・マットソンの家具シリーズ、国産の杉材を活用した製品など、当社のあらゆるラインナップをご覧いただける、見応えのあるウェブサイトです。
また、自動車などの工業製品への技術応用など、1940年の創業以来培ってきた家具づくりのノウハウを活かした技術もご紹介しています。独自の技術と自由な発想を掛け合わせることで家具メーカーという枠を超えた新しいニーズや可能性へのチャレンジを特集したページもご用意しています。

現在、50年代から70年代にかけて誕生した名作と呼ばれる家具を「天童クラシックス」というカテゴリーでご紹介しています。これは2000年代中頃にまとめられたものですが、その後の再評価や復刻などで、このカテゴリーに加えるべきプロダクトも多数存在しています。世に知られるべき作品、または後世に残すべき作品を改めて評価し、現在から未来を見据えた新しい「天童クラシックス(仮)」をまとめたいと考えています。
また、かつての建築家やデザイナーとの仕事の中でデザインされたものが、時代の波により製品化されなかったもの、あるいは廃番となったものを再評価し、復刻していくこともやりたいことのひとつです。

今日から1か月間の連載、どうぞお楽しみに!

 

←「天童木工」その他の記事はこちら

天童木工

1940年に山形県天童市で創業。無垢材よりも強く、軽く自由な形に成形できる「成形合板」を日本でいち早く実用化し、デザイナーや建築家といったクリエイター達との協同によって多くの名作と呼ばれるロングセラー家具を生み出してきました。その実績は一般家庭から、企業の上級エリア、中央官庁まで多岐にわたります。熟練の職人技と豊かなデザインは確かな品質と快適な暮らしをお届けいたします。

 

天童木工ホームページ
https://www.tendo-mokko.co.jp/
天童木工公式オンラインストア
https://shop.tendo-mokko.co.jp/

 

Instagram
https://www.instagram.com/tendo_mokko
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X(旧Twitter)
https://twitter.com/Tendo_mokko

 

天童木工の全国の拠点・ショールーム&ストアの情報はこちらからご覧ください
https://www.tendo-mokko.co.jp/office/
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https://www.tendo-mokko.co.jp/shops/

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