禅僧・南直哉さんに聞きました。人生後半戦、心を平穏に保つ習慣とは?Vol.1
禅僧・南直哉さんに聞きました
色々な悩みや不安が噴出してくる人生後半戦、
心の平穏に保つには、どうしたらいいのでしょう?
「自分を大切にしないことです」
え???
それってどういうことですか?
詳しく教えてください、南さん!
禅僧・南直哉さんは、
福井県・永平寺での厳しい修行を経て
今は青森の霊場・恐山の
院代(住職代理)を務めるお坊さんです。
「人の役に立ちたくて出家したのではなく、
自分の中の切実な問題のためでした」
幼い頃は喘息持ちで
苦しい発作のその先の「死」をリアルに感じ
「死とは?」「自分とは?」という
問いを持ち続けてきたそう。
今は、かつての自分のように、
苦しさを抱えた人に会って
対話することを続けています。
「仏教は生きるための道具になる」
という南さんに、人生後半戦を
心軽やかにすごすための
おへそ(=習慣)をうかがいました。
細身ですらりとした長身、鋭い眼が印象的な南直哉さんは、
「死」や「自己」について、独自の考えを持ち、
多数の著書やブログで発言をしている”語る禅僧”です。
脳科学者の茂木健一郎さんや元ハードル選手の為末大さんとの共著を出すなど、
仏教界を超えて、生きることの本質を語り続けています。
私たちは、普段「生」や「死」について、
ほとんど考えることなく生きているのではないでしょうか?
肉親や近しい人の死を間近にみたとき、うろたえ、悲しみ、
初めて「死ってなんだろう?」
「生きるってどういうことだろう?」と考える……。
南さんは、「私たちの生には、
あらかじめ決まった目的も価値も意味もない」と言います。
「我々は、意味や価値があって生きているのではなく
、生きていることが意味や価値を作ることなのだ」と。
思いもよらない角度で深く生と死をとらえる、
南さんの「おへそ」をのぞいてみたら、
きっと今まで表だと思っていたものが実は裏で、
裏が表だと気づくかもしれない……。
そんな思いで実現したのがこのインタビューです。
風を切るような早足で取材現場にあらわれた南さん。
醸し出すストイックな雰囲気とは裏腹に、
その語り口は実にユーモラスで、
まるで落語を聞いているような可笑しみがあります。
僧侶になる前は百貨店に勤務していたという南さん、
いったいどうしてお坊さんになったのですか?
「別に尊い志があったわけではなく、自分のためです。
幼い頃は病弱で、喘息発作のたびに息ができなくなり、
もう死ぬ……と思う苦しさでした。そんな経験を繰り返すうちに
「死とは何か?」「自分とは何だろう?」という問いが心の真ん中に居座りました」
中学3年のある日、教科書に平家物語の「諸行無常」という言葉を見つけたとき
「ああ、これだ!」と救われた思いだったという南さん。
これこそ、ずっと抱えてきた苦しさを表す言葉でした。
2500年も前に釈迦という人が同じことを考えていたのだと知り、
これは自分だけの問題ではなく、考える価値のあることなのだと思えたそう。
これが仏教との出会いでした。大学を出て、
就職してもその切実な問いは心のど真ん中に居座り続け、
なかば賭けるような気持ちで出家したのが25歳のとき。
厳しい修行で知られる曹洞宗の大本山・永平寺での禅僧として
20年も修行を重ねました。
縁あって現在は青森県の霊場・恐山の院代(住職代理)を務めているのだそう。
photo:枦木功
Profile
南直哉
1958年長野県生まれ。早稲田大学卒。百貨店勤務を経て84年曹洞宗において出家得度。福井県永平寺で修行の後、現在は福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)。『語る禅僧』(ちくま文庫)、『禅僧が教える 心がラクになる本』(アスコム)他著書多数。
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。