堀井和子さん【前編】「インテリア、ファッション、雑貨など、いろいろなものに触れ動く心を大切に」
そばかすがチャームポイントになることも、かごのかわいさも、公園で食べるサンドイッチのおいしさも。大事なことはみんなオリーブに教わった。80年代、90年代、少女たちに熱狂的に支持された雑誌『オリーブ』。その熱狂をつくり出していた、素敵な先輩を訪ねます。
text:鈴木麻子
そば粉のガレット、シナモンロール、羊飼いのパイ、冷たいグリーンピースのスープ……。世の中にこんなおしゃれな料理があるなんて! 今でこそ海外の料理は街中に溢れているけれど、いまから約20年も前にはちっとも。オリーブ少女たちは堀井和子さんの連載「Eating」に登場する魅惑的な写真とレシピを、毎回うっとり眺めていたものです。
「スタイリストをした後、1984年~1987年にアメリカに住んでいました。その時に雑誌『装苑』でアメリカのフード事情をレポートしていたのがきっかけとなって、帰国後『オリーブ』でも、食の連載をするようになったんです。まだ若いオリーブの読者だから、きちんとしたディナーというよりは、アメリカで覚えた面白い料理や、自分が食べたいお料理をアレンジして紹介していました」
撮影場所は、あるときは堀井さんの家や実家の庭で、またあるときには、公園で。スタッフが集まって、和気あいあいと撮影した現場の楽しい空気感は写真にも表れ、本当にのびやかでカラッとしたブランチのワンシーンが、毎月2回私たちの元へと届くのでした。
「オリーブって当時の他の婦人誌みたいに、“決め決め”だったり、いろいろなルールに縛られたりしていなかったんです。インテリア、ファッション、雑貨などいろいろな物に触れ動く心を大切に、自由な気持ちでスタッフのみなさんがページ作りをしていたように思います」
堀井和子さんといえば、料理制作はもちろん、撮影やスタイリング、イラストやレイアウトまで、本づくりに関するあらゆることは自分でこなしてしまう、クリエーターのパイオニア的存在。いま活躍する料理家やスタイリストなど、多くの人たちに多大な影響を与えてきました。
「肩書きを聞かれるといつも困ってしまうんです。“粉料理研究家”が一番近いかもしれないけれど、お料理の専門家になるつもりはなかったから。分量大さじ何杯、小さじ何杯とか、同じ料理を何度も作って研究して、よりよいレシピを検討するみたいなことは苦手で。その時間に別の料理を作って食べたい(笑)。器やテーブルセッティングなど、料理だけではなく、食事をする空間や時間すべてに興味があるんですね」
アメリカからのレポートをしていたきは、カメラマンを派遣してもらえないから自分で撮っていただけだし、イラストも自分で描いたほうが手間がないから描く。それぞれがすごく上手じゃなくても、全部が合わさったら自分が伝えたいことを伝えられるんじゃないかな? と堀井さんは考え、表現に関わる全てをこなしていました。
「写真でうまく伝わらなかったらイラストで補足したらいいし、それでもダメなら原稿でなんとかカバーしようって思っていたんですね」
肩書きのない、自由な表現者、堀井和子さんの誕生です。
↑ 堀井さんのラフスケッチによる、雑誌の料理ページの絵コンテ。撮影前から頭の中には、こんなふうに「絵」がしっかりイメージできているといいます。
↑ こちらは書籍『26枚のテーブルクロス』の絵コンテ。置く器や写り込む角度などが緻密に表現されています。
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<堀井さんから見せていただいたアイテム>
↑ 15年くらい前にフランス・ニースのマルシェで見つけた麦わら帽子。いまでもよくかぶっている。「ニースのマルシェに来る人は、柳のバスケットもラフィア帽も格好いいんです」
Profile
堀井和子
料理スタイリストを経て、渡米。その後、『オリーブ』で10年以上にわたり料理ページ「Eating」を連載。食に関するエッセイやレシピ本を多数発行。2010年にご主人とともに「1丁目ほりい事務所」を立ち上げ、自由な創作活動を行う。今秋行われる関西方面での企画展に向け、作家さんと新たなもの作りに挑戦中。
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。