私は私であればいい Vol.1 モデル 結城アンナさん
子供や夫、そして両親が大切でずっと、
自分のことは後まわしに。
60歳を過ぎてやっと自分をいたわり
大切にしたいと思うようになりました
「今日はね、ロウスイーツを作ったのよ。グリーンピースをつぶして、アーモンドパウダーを混ぜてお団子状にしてみたの。和菓子みたいでしょう?」
そう言ってアンナさんがティータイムの準備をしてくれました。ガラスのポットに入っているのは、ジンジャーティーです。
食べることが大好きで、キッチンでお気に入りの音楽をかけ、ワインをちびちび飲みながら、料理を作っている時間が何より好きなのだとか。
スウェーデンのストックフォルムで日本人のお父様とスウェーデン人のお母様の間に生まれたというアンナさん。15歳の時、家族で日本に移住しました。
表参道でスカウトされてモデルデビュー。スタイル抜群で、美しいアンナさんは、たちまち人気になり、コマーシャルを中心に雑誌「アンアン」などで活躍しました。そんな頃、ご主人の岩城滉一さんと出会い、17歳頃から一緒に暮らし始めます。
「私ね、結婚願望がまるでなかったんです。結婚式なんてやりたくなかった。21歳で娘を産んだ時も、入籍はしませんでした。二人とも決まりごとが大嫌いで、人と同じことがイヤ。今でも、買い物に行って『これは一番の売れ筋で』と言われると、『じゃあ、結構です』って帰ってきちゃうの」と笑います。
その頃、岩城さんはまだ無名で、アンナさんの方が忙しかったそう。
「働ける人が働けばいい、と思っていました。若い頃は平気なんですよ、お金なんてなくても」とアンナさん。
それでも、子育てと仕事の両立は大変! 当時はスタイリストという存在がまだ確立されておらず、モデルは自分で靴や小物を調達しなくてはいけませんでした。
「荷物を山ほど持って、子供を抱っこして、スーパーで買い物をした食材を抱えて……。自分のアイデンティティなんてどうでもいい。とにかくちゃんと子供を育てなくちゃと必死でしたね」
人一倍明るく見えますが、実はセンシティブ。当時、過呼吸を起こしたり、パニック状態に陥ることも。病院を転々とする辛い日々だったそうです。
「あの経験があったから、今は悩みのタネは早めに摘み取るように心がけるようになりましたね」
Vol.2に続く
text:一田憲子 photo:宮濱佑美子
『暮らしのおへそVol.25』より
Profile
結城アンナ
1955年スウェーデン生まれ。1965年に両親と初来日。1971年より日本に定住する。ファッション誌、CMなどでモデルとして活躍した後、俳優、岩城滉一しと結婚。近年はイラストレーターとしても独自の世界を展開。60歳を迎えてから、本格的に芸能活動を開始し、活動の場を広げている。
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。