「ただ、いる、だけ」は価値がある。 ― 臨床心理士・東畑開人さん vol.4

暮らしのおへそ
2019.12.19

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ひとりでは「いられない」人の
「いる」を支えるのが僕の仕事です。
子育てや介護も同じですよね。
「ケア」って、実はとても傷つきやすい仕事で、
誰かに愚痴を言ったり、相談する場をもつことが
すごく支えになります。

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週に一度カウンセリングを受ける
ソファに寝転んで、自身の心に浮かぶことを、カウンセラーに吐き出し、今自分の心がどういう状態なのかを確認することで自分を整える。


傷つけないのがケア

傷に向き合うのがセラピー

一対一で行う「セラピー」は心の傷に介入し向き合うこと。これに対して依存を引き受け、日常を支えるのが「ケア」です。仮病を使う子どもに対して、学校に行くように働きかけるのがセラピーで、子どものニーズに応えて休ませてあげるのがケア。どちらも私たちの日常にある成分で、水溶液のように混ざっているのだといいます。

「僕たちは状況に応じてセラピーとケアを使い分けています。成果がわかりやすいセラピーに比べて、変わらない日常を支えるケアはとても大変な割に見えにくいんです」

ふだんカウンセリングの仕事をする東畑さん自身も、自身へのケアとして週に1回カウンセリングを受けているそう。心に浮かぶもやもやを吐き出して、一緒に考えてもらうことで、考えが整理され、心を健全に保つことができるのだとか。忙しく、心が疲弊しがちな私たちには、一体どんなケアが必要なのでしょうか?

「相談できる場所をもつことです。カウンセリングとまではいかなくても、誰かに愚痴るだけでケアになります」

確かに、抱えているものを誰かに聞いてもらうとラクになりますが、愚痴るってネガティブなイメージも。

「相談されてイヤな人って実はあまりいないんですよ。家庭内というプライベートな空間では、普通がわからなくなりがち。思いきって他人に話してみると、それ普通よ~なんて言われてあっさり解決することもありますよね」

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朝5時から7 時まで原稿を書く
仕事や家族の時間とは別に、自分と向き合う時間をもつ。たとえ何も書けなくても、コーヒーを飲みながらパソコンの前に2時間座っている。


さまざまな人間関係のなかで誰しもが少なからず心にもやもやを抱えているもの。まわりの人にもっと気軽に相談できれば、心が軽くなるのかも。

「僕たちは関係性のなかで生きています。網目のように張りめぐらされた人間関係のなかで、愚痴をこぼしたり、雑談をしたり、無為な時間を共有することで信頼関係ができていきます。そうすると本当の意味で『いる』ことができるようになります」

私たちはどうしても「何をするか」に価値を置いてしまいがちですが、東畑さんが伝えたかったのはその手前の「いる」というあり方でした。誰かに何かをしてあげようと意気込むだけでなく、時には誰かを頼り、身をゆだねながら、ぐるぐるとまわる日常を一緒に生きていくのはとても豊かなことなのかもしれません。私たちの日常のなかに宿る「ただ、いる、だけ」の価値を見つめ直してみませんか?

 

「暮らしのおへそ Vol.28」より
photo:興村憲彦

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Profile

東畑開人

Kaito Touhata

1983年生まれ。臨床心理士。2010年京都大学大学院教育学研究科博士課程修了後、沖縄の精神科クリニック勤務を経て14年より十文字学園女子大学専任講師に。17年、白金高輪カウンセリングルームを開業。著書に『野の医者は笑う』『日本のありふれた心理療法』(共に誠信書房)ほか。

肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。

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