無駄のないおへそ ― 作家・小川 糸さん vol.2
ベルリンに住んでいちばん変わったのは
消費が暮らしの中心ではなくなったこと。
毎日の生活のなかに喜びを見いだせるようになったこと。
新著『ライオンのおやつ』では
死を迎える場所の物語が書きたいと思いました。
死はえたいが知れない怖いものでなく
日常の一部で、もっと身近なものだということを。
そんな日々のなかで、小川さんが新たに書き上げた小説が新著『ライオンのおやつ』です。
死ぬことが怖くなくなる。
そんな物語が書きたかった
主人公の海野雫は、余命を告げられ、生活のすべてをきれいに整理して、瀬戸内の海に浮かぶレモン島にあるホスピス「ライオンの家」へやってきます。そこで繰り広げられる「最期の時間」は、死に向かっているというのに、ページを繰るたびに、ひたひたと心地よい波に満たされるような幸せな気分になるから不思議です。
昨年、お母さまを見送った小川さん。
「がんが見つかって、電話口で母は『死ぬのが怖い』と言いました。世の中には、母のように、死を恐怖と感じている人が圧倒的に多い。母の死には間に合いませんでしたが、読んだ人が、少しでも『死ぬのが怖くなくなるような物語が書きたい』と思ったんです」
確かにこの本を読むと、雫はおやつの時間に開かれるお茶会で、おいしそうなお菓子を食べたり、自室ではふかふかの羽毛の布団で眠ったり。
「死って、本当は日常の一部なのに、隔離されてしまっているから、見えない、えたいが知れないものになってしまっていて、だから怖い。人がどういうふうに亡くなっていくのかを詳細に書くことで、『ああ、こういうことなんだ』と死をもっと身近なものとして意識できたら、ちょっとはラクになるんじゃないかと思って」
そして、小川さんご自身は、お母さまが亡くなって、自分の人生がリセットされたような気がしたそう。
「ずっとつながっていたへその緒が切れたような感じがしました。でも、そのことによって、母が自分のなかに入ってきたような、ずっと一緒にいるような感覚があります。母とは犬猿の仲だったのですが、亡くなる前の少し認知症も始まった姿がすごく愛おしくて。へその緒が切れて、ようやく解放され、今までこじれていた関係がリセットされて、新たな関係を築けるようになった気がします」
それはつまり、つらい記憶も塗り替えられるということ……。
「事実は変わらないけれど、それに対する解釈の仕方は変えられるし、解釈を変えるすごくいいきっかけが死なのかなと思いますね」
今は、たんたんと同じ習慣を繰り返し、文章を綴り、森や公園を散歩する、という日常が何より大切だと言います。「毎日がすごく幸せだなと思います。明日人生が終わっても大丈夫かな」
『ライオンのおやつ』
余命を告げられた雫は、残りの日々を瀬戸内の島のホスピスで過ごすことに決めた。そこでは毎週日曜日、入居者がもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできる「おやつの時間」があった。生きていれば必ず訪れる死を恐れなく迎える、愛おしい日々の物語。(ポプラ社刊)
『暮らしのおへそ Vol.29』より
photo:興村憲彦 text:一田憲子
Profile
小川 糸
2008年『食堂かたつむり』で作家デビュー。以降多くの作品が、英語、フランス語、韓国語などに翻訳され、さまざまな国で出版されている。2017年には『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化。2年間ドイツ・ベルリンと日本の2拠点生活をし、今年帰国予定。
糸通信:http://ogawa-ito.com
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