私は私。ただ今日を、生きるだけ 安奈淳さん Vol.1

大人になったら、着たい服
2020.11.09

宝塚歌劇団時代、「ベルサイユのばら」のオスカル役で一世を風靡した安奈淳さん。30代から病気がちで、50代のときに膠原病で緊急入院。幸い回復したものの、50 ~60歳の10年間は歌うこともできず、苦しい日々を送られました。やっと声が出るようになり、少しずつ仕事を再開。今年73歳。「歌は私の命です」と語ります。いつも地味で、目立つのが嫌い。それでも、好きな服ははっきりと決まっています。私は私で生きる。そんな安奈さんのおしゃれと生きる力についてお話をうかがいました。



若いころから目立つのが嫌い。
地味な服ばかり着ていました。
でもね、好き嫌いは
はっきりしていたんです。


「コム デ ギャルソン」の黒いタキシードジャケットで、カメラの前に立った安奈さん。胸元には、キース・ヘリングの缶バッジを。ボーダーカットソーはなんと「無印良品」のもの。その絶妙な足し算の格好いいこと!

ご両親が宝塚歌劇団のファンで、幼いころから家族4人で月に一度は宝塚の舞台を見に行くのが一大イベントだったそう。

「本当は、絵を描くのが好きだったから、絵描きとか舞台装置を作る人とか、裏方さんがやりたかったんです」と安奈さん。

当時から目立つことがとにかく苦手。洋服も地味なものが好きだったのだとか。お父さまの強い希望で宝塚音楽学校を受験すると見事合格! あの「ベルサイユのばら」のオスカル役を演じ、一躍時の人になりました。とはいっても、当のご本人は「スターになる野心は一切なかった」と語ります。

「今もそうですけど、欲も競争心もないんです」と安奈さん。

30歳で「風と共に去りぬ」で退団後は、すぐにミュージカルやコンサートなどに出演し、忙しい日々が始まりました。


ところが、このころから少しずつ体調が悪くなり、肝炎を発症。そして、53歳になったときに緊急入院。余命3日と告げられ、危篤状態が続きました。

「体中に水がたまり、肺や心臓まで水がきていて、溺れそうな感じだったみたいです。10日間ぐらいかけて少しずつ水を抜いて、60キロあった体重が38キロになりました。私はそのころの記憶がないのですが、まわりのみんなはもう死ぬって思っていたでしょうね」

ようやく危機を脱したものの原因不明だったので検査の日々。ようやく膠原病だとわかり、治療が始まったそう。治療中は副作用で眠れない日々が続き、気分の浮き沈みが激しくて、うつ状態になってしまったことも。

「自殺未遂みたいなことも2〜3回しました。でも、怖がりだったので結局死ねなくて……」


体調がよくなると少しずつ精神的にも落ち着いてきたそう。

やっと抜け出せたのは60歳になってから。少しずつ声が出るようになり、ボイストレーニングを再開。復帰コンサートは、安奈さんが大好きなフランスのシャンソン歌手の曲で構成された「ジャック・ブレルは今日もパリに生きて歌っている」というステージでした。

「まだステロイドでパンパンに腫れた丸い顔をしていたけれど、やっぱり嬉しかったですね」

 

→Vol.2に続きます

photo:回里純子 text:一田憲子

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Profile

安奈 淳

Jun Anna

1947年大阪府箕面市に生まれる。1965年に宝塚歌劇団に入団。1975年花組の主演男役となり、「ベルサイユのばら」のオスカルを演じ、大ブームを起こす。1978年退団。その後は『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』などのミュージカルに主演。2000年に膠原病に倒れるが、長い療養を経てカムバック。現在はシャンソンやジャズなど日本のポピュラー音楽界になくてはならない歌手として活躍。芸能生活55周年記念CD『安奈淳 私の好きな歌 mes chères chansons』が好評発売中。
https://annajun.com

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