第11回 夜中にこっそり寮を抜け出して食べにいった、ファミレスの朝ごはんのハンバーグ
前にも書いたことがあるけれど、私は高校生の時、寮生活を送っていた。
1、2、3年生が合同の3人部屋で、年に数回、部屋替えがあった。夏になると3年生は受験に備えて3年生だけの部屋割になり、消灯時間も1、2年生の部屋よりも1時間長くなる。
それまで部屋割のメンバーは寮の先生が決めているのだけれど、3年生部屋のメンバーは希望をとって、そこから先生と寮長(学級委員長みたいなまとめ役の子)が決める。受験というシビアな日々を、ストレスなく過ごせる部屋でないといけない。たとえば、同じクラスで仲がよいからこそ部屋は別がいいとか、どうしても性格が合わないとか、勉強に集中するメンバーがいいとか、みんな希望を書いて渡す。そして部屋が決まる。
3年生の夏から卒業まで半年以上、同じ部屋で同じメンバーで過ごす。私の部屋のメンバーは、東京出身のスケーターのEちゃん。そして、高校卒業後はアメリカに留学する予定のSちゃん。2人とも穏やかなメンバー。
夕食を食べて自由時間を過ごし、夜の礼拝が終わると、そこからはみんな各部屋で1時間半ほど自習時間になる。その時間は基本的に他の部屋に行ってはいけないし、部屋の中でもヒソヒソと小声で話さないといけない。あくまで勉強する時間なのだ。
部屋の真ん中には小さなテーブルとポットが1台あって、お茶は好きな時にできるようになっている。紅茶やお湯で溶かすココアとか、好きな飲みものを各自揃えていた。
私たち3人は、よくお茶をした。今までのこと、これからのこと、温かいお茶を飲みながら、たまに歌ったりしながら話しをして、笑いすぎて先生に本気で怒られたりしながら、私たちは毎日のようにお茶をした。
Eちゃんは絵が上手くて、卒業後は美術の専門学校に進む。新潟の高校だったけれど、生まれも育ちも東京の子で、とにかくオシャレで音楽にも詳しくて、東京とはこういう感じなのかと、私はEちゃんに会って東京の洗礼を受けた。
Sちゃんは独特の空気感のある、おもしろい子だった。アメリカ留学の準備のために、たまに東京に行っていた。そしてよく歩く子だった。
夜遅くに屋上を何十周も歩いていたり、街までバスで1時間かかる距離を、歩いて行ったりしていた。東京からの帰りには、上野のアメ横でキスチョコのたたき売りをいつもお土産に買ってきてくれた。なので、お茶をしながら3人でよくキスチョコを食べていた。
そして秋も深まる頃に、何がどうしてこうなったのかは全く覚えてないのだけれど、街まで歩くことに楽しみを覚えたSちゃんのもくろみで、私とEちゃんも一緒に街まで歩いて行くことになった。
なぜか夜中、みんなが寝静まった頃に、こっそりと寮を抜け出して行くことになった。今思えば、かなり危険なことをしたと思う。見つかったら大問題だし、停学間違いなし。
コンビニまで徒歩で40分もかかる、街灯もあまりない道を、女の子だけで夜中に歩くなんて危険すぎる。この文章を書いている今も、なんて危ないことを…とぞっとする。
でも当時の私たちにとって、これはかなりわくわくする大事なミッション。誰にも見つからないように、事前にかなり細かく計画を立てた。土曜日の夜に抜け出して、日曜日の午前中に帰ってくる。誰かが日曜日の朝に部屋に遊びにきたらアウト。
「寝ています」という紙を貼って、玄関からはもちろん出られないので、トイレの小さな出窓から外に出た。なるべく音が出ないように、出窓の鍵をあけるのも慎重に。万が一歩いている時に高校生だとわかるといけないので、フードのついたパーカーを被って首にタオルをかけて、ジョギングをしている風を装って財布のみを持って外に出た(この時代、携帯はNGだった)。とにかく物音を立てないように。
出窓をゆっくり閉めて、静かに寮を離れる。そこからはとにかくジョギングをしている風を装って、3人縦に並んで走った。ドキドキしながら走った。ここまでくれば大丈夫だろうという所まで辿りつき、3人でフードをはずして笑った。この時深夜1時。
そこからまたいつものように、たわいもない話をしたり歌ったりしながら街へ向かった。この頃、コーヒーのCMソングになっていた『明日があるさ』をよく歌っていた。歌いながら、とにかく歩く歩く歩く。
私たちの最終目的は、新潟駅近くのファミレスで朝ごはんを食べることだった。空が明るくなってきた朝5時、私たちはファミレスに辿り着いた。そして3人でハンバーグを食べた。鉄板にのった、ジュージューいうハンバーグ。
話の締めとして、あの時のハンバーグがとてもおいしかったと書きたいのだけれど、疲れすぎていてハンバーグを食べた時の感想を全く覚えていない。覚えているのは、ファミレスの窓から見えた新潟の分厚い雲、早朝独特のお店の雰囲気。
そこからSちゃんはそのまま東京に向かい、私とEちゃんはバスに揺られ寮に戻り、ひっそりと自分たちの部屋に戻り、夕方まで泥のように眠った。
学校を卒業してEちゃんは地元の東京に戻り、私も上京したのでちょくちょく遊んでいた。Sちゃんのアメリカ留学が6月に決まり、私とEちゃんで、餞別に寮での思い出を曲とともに紹介するようなカセットテープを作った。アメリカでも頑張ってね、の気持ちを込めて。
数年後、帰国したSちゃんとEちゃんと会ってそのカセットテープの話になった時、久しぶりに聴きたいとなったけれど、Sちゃんはテープを紛失していた。幻のテープ。
では、最後に曲をリクエストします。曲はもちろん『明日があるさ』。
寮のその2人がお誕生日会をしてくれた当時の
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Profile
夏井景子
1983年新潟生まれ。板前の父、料理好きの母の影響で、幼い頃からお菓子作りに興味を持つ。製菓専門学校を卒業後、ベーカリー、カフェで働き、原宿にあった『Annon cook』でバターや卵を使わない料理とお菓子作りをこなす。2014年から東京・二子玉川の自宅で、季節の野菜を使った少人数制の家庭料理の料理教室を主宰。著書に『“メモみたいなレシピ”で作る家庭料理のレシピ帖』、『あえ麺100』『ホーローバットで作るバターを使わないお菓子』(ともに共著/すべて主婦と生活社)など。
http://natsuikeiko.com Instagram:natsuikeiko
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