石川 源さん(デザイナー) 石川博子さん(雑貨店オーナー) vol.2
博子と僕とは、
センスが重なることが多くて
「いいね」の感覚が近い。
そうして3年がたった頃、ふたりにとって大きな転機が訪れます。源さんが日本での仕事を一切休んで、1年間単身でNYへ行くことに。
源---ある日、僕が「人生で一度くらい外国で暮らしてみたかったけど、もう39歳だし、その夢は叶わなかったな」ってつぶやいたら、博子が「行けばいいじゃない!」って背中を押してくれたんです。
博子---何を迷っているんだろうって思いました。たった1年、日本を留守にすることで仕事がなくなるなら、それは便利屋として使われていただけ。でも今まで誠意を持って仕事をしてきたわけだから、源さんならきっと大丈夫って。
源---たぶん、僕のほうがこれまで築き上げてきたものにこだわっていたんだね。それを博子が吹き飛ばしてくれた。それで「よし! やってやろう」って有り金を全部もって、NYへ。
博子---私も何度か遊びに行きましたが、すごくいい経験になりました。それまで外国にばかり目が行っていたけれど、日本を見つめなおすきっかけになったんです。日本のクラフトフェアに出かけたり、日本の作家さんとのつきあいが始まったのはこの経験があったから。
源---確かに、僕のデザインにも、博子の物集めにも影響を与えたね。それからふたりで同じものを見て「いいね」って言い合う楽しみを知ったのもこの頃。博子と僕とは、センスが重なるところが多くて「いいね」の感覚が近い。価値観というと大げさだけど、好き、嫌いの感覚が似ているのは楽しいよね。アンティークフェアなんかに行って、人から見たらゴミみたいなものでも、「素敵なゴミ」だと思って発掘してくるわけじゃない。それを毎回、否定されたらつらいでしょ。
そんな「いいね」の経験を重ねながら、初めはそれぞれで跳んでいた縄が、同じリズムを刻むようになっていったそう。
万一、ダメになった時は
四畳半一間でも楽しくやっていける。
博子---今、思えば初めから源さんのいうことを聞いていれば、どんなに楽だったか(笑)。お店の運営とか、人づきあいとか、本当にいろいろなことを教わりました。それに私、お金の心配をしたことがないんですよ。家のローンも水道代もガス代も払ったことがありません。源さんが私たち家族を養ってくれているから、私は「ファーマーズテーブル」をやってこられたんだと思います。昔、娘が幼かった頃、「ママはお店もやって、家では家事もやってすごいね」といったことがありましたが、私はすぐに否定しました。「そういってくれるのは嬉しいけれど、私たちがこの家に住めるのは、パパが働いてくれているからだよ。ママのお給料ではこの家に住めないんだよ」って。実は数年前に、聞いたことがあるんです。「ずっと家族を養ってくれたけど、本当はつらくないですか?」って。そうしたら「今はつらくないけど、つらくなったらいうよ」って。
源---お互いの会計はノータッチで独立採算制だからね。博子がいくら稼いでいるか僕は知らないし、博子も僕がほとんど持っていないことを知らない(笑)。そうそう、結婚当初「フリーだから、今はこういう生活ができているけれど、万が一ダメになった時には四畳半一間になるかもしれない。その覚悟はあるか?」って聞いたんですよ。
博子---たとえ四畳半一間だって、私たちなりのおしゃれな四畳半一間ができるはず、と思いました。でも源さんは男っぽいから、そうはならないように頑張るだろうな、とも。
ブランドや世間の評判は関係なく、自分たちが心から「いいね」と思ったものを大切にして歩んできた石川さん夫妻。出会った当時、10万円で買ったボロボロの中古車を「格好いい」と思ったふたりの価値観は30年たった今も変わりません。
『ふたりのおしゃれ』より
photo:和田直美 text:編集部
Profile
石川 源 石川博子
源さんは1948年生まれ。外資系の広告代理店を経て、独立。パッケージデザインやポスターなどのグラフィックデザイナーとして活躍。博子さんは1958年生まれ。スタイリストを経て86年「ファーマーズテーブル」をオープン。お嬢さんと3人暮らし。
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。