料理とお菓子と女子マンガ 第1回 須藤佑実『夢の端々』のアイスクリーム

2020.12.07

 

恋するわたしは狂っている。そう言えるわたしは狂っていない。
ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』

 

こんにちは。料理編集の「編集長(お)」こと、小田と申します。突然ですが実は私、「小田真琴」という名義で「女子マンガ研究家」という副業をやっておりまして、雑誌やウェブに女性向けマンガのレビューを書いたり、たまにテレビに出たりしているのです。2017年には『マツコの知らない世界』にも出演させていただきました。

↑証拠

マツコさんはとても良い香りがしました。

基本的に本業と副業は完全に分けて働いてきましたが、この度、編集部のサイトを立ち上げるにあたり、どうにもこうにも記事の本数が足りないものですから、「お前も書け」と部員たちに言われまして、こうして渋々ノーギャラで書いている次第です。

とはいえみなさんにマンガをオススメできる機会をいただけるのは有り難いことです。そしてここは一応「料理編集」のサイトなわけですから、作中に登場する食べもの表現に触れつつ、素敵なマンガをご紹介できたらと思っています。

前置きが長くなりましたが、第1回で取り上げますのは、須藤佑実先生の『夢の端々』上・下(祥伝社)。今年のベストに推したいほどの大傑作であります。

上 祥伝社 本体: 880円+税

下 祥伝社 本体: 880円+税

貴代子とミツ、2人の女性の秘められた恋の物語は、年老いた彼女たちが生きる現代を舞台に始まり、やがて時代を遡りながら、その関係性の綾を丁寧に描き出して行きます。なぜに彼女たちは心中未遂へと至ったのか? 周到に張り巡らされた伏線が鮮やかに回収されていく見事な構成は上質なミステリーのようであり、あるいはまた戦後日本の家父長制が女性に不自由を強いた理不尽を炙り出す様はフェミニズム文学でもあり、そしてなにより極上の切なさを湛えた恋物語でもあります。1作で3度おいしい、贅沢な物語体験と言えましょう。

アイスクリームが登場するのは第2話。バブル景気が全盛期にあった1988年の晩秋、55歳となった2人が、盲腸の手術を終えたミツの快気祝いで久しぶりに会ったときのことです。義母の介護を終えた貴代子が離婚を決意したことを伝えると、ミツはこう答えるのです。「きよちゃんさ…昔あたしが言ったこと覚えてる?」。しばし逡巡した貴代子でしたが、周囲に漂う金木犀の香りに、「あ」と思い出します。「安くて小さい家を買ってさ。庭には金木犀と実のなる木を植えて、実を食べに来る鳥を2人で見るの。いつかそういう風に2人で暮らせたら…いいのに」というミツの言葉を。かつてさまざまな思いを抱えながらも、貴代子はお見合い結婚をし、子を産み育て、ミツは起業して、独身のままバリバリと働き続けてきましたが、今再び2人の人生が重なり合うチャンスが訪れたのです。ところが──。

中華料理店からの帰り道、夜の公園を歩く2人の前に現れたのは、季節外れのアイス屋でした。「ちょうどさっぱりしたものが食べたかったんだー」「でもアイスって…」などと、とりとめもない話で笑い合いながら、肌寒い夜の公園でアイスを食べる貴代子とミツ。そして貴代子は思うのです。「『今日家に泊めてよ』『そのまま一緒に暮らそうよ』とか、この時言ってみようと思えば言うチャンスはいくらでもあった。言えばよかったかもしれない。でも言いたくなかった。私は2人でアイスを食べていたかった。さむいさむいといいながら」。

ⓒ 須藤佑実/祥伝社

ここで2人が食べるべきはアイス以外あり得ませんでした。焼きいもでも大判焼きでもいけません。肌寒い夜に屋外でわざわざアイスを食べること。それは日常の中のささやかな「狂気」であり、それはきっと恋愛の狂騒にも似ていることでしょう。だから愛する人と、晩秋の夜の公園で食べるのは、アイスでなければならなかったのです。

「さむいさむいといいながら」と貴代子がいうのは、恋する自分の狂気を客観的に理解しているからです。しかし彼女はこの非日常が日常となることを望まなかった。晩秋の冷たい空気が、彼女たちを正気へと引き戻します。もはや私たちは完全に別々の人生を歩んできてしまったのだという諦念。55歳にもなって、今さら往時のような恋愛関係に戻ることへの不安。そしてもしかしたらこの恋愛の非日常性を、一瞬の記憶として、心の中に冷凍保存しておきたいという思いもあったかもしれません。

かくいう私も、冬に食べるアイスには独特のおかしみがあって大好きです。傍から見れば無駄な(近ごろ流行りの言葉で言えば「不要不急」の)その行為の中にこそ、人間の文化の豊かさがあると思うからです。恋愛だってそうですよね。楽しいことばかりではないし、むしろ悩んだり、傷ついたりすることのほうが多いというのに、人は恋をする。そこにはきっと特別に素敵なことがあると信じるからです。

効率や生産性ばかりが重視される新自由主義的な風潮の中にあって、恋愛の立ち位置も徐々に変化してきました。なかなかに真正面から恋愛を描くことが難しい時代になりつつある中で、『夢の端々』には、恋愛を通してのみ描き得るものがあったのです。それは女の「自由」。強固な家父長制の中にあって、子孫をなすことのない女同士の恋愛など、家に対する反逆にも等しかったはずです。そこまでして彼女たちが手に入れたかったものは、愛であり、そして自由でした。寒空の下で食べるアイスクリームには、束の間の自由の喜びと同時に、一片の切なさが織り込まれているように感じます。年末年始の読書に、強くオススメしたい一作です。

 

text 小田真琴

私のお気に入りのアイスはアクオリーナのジェラートです。素材本来の味をジェラートとして再構築する手腕は日本一! お取り寄せもできます。

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