禅僧・南直哉さんに聞きました。人生後半戦、心を平穏に保つ習慣とは?Vol.4
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感情の取り扱い方
「もうひとつ、お話しておきたいのが、感情の取り扱い方です。
これを知ることで、無駄に振り回されなくなります。
例えば、悲しみ方には作法があります。
大切な人を亡くす経験は誰にもやってきます。
そんなときは存分にクヨクヨすればいいんです。
ただし、大事なのは勘定の水路を作っておくこと。
頭と体を切り離してルーティンの日常を淡々と送ることです。
日常が悲しみを流す水路になり、
いずれ必ず、悲しみが癒え、笑える日が来ます」
悲しみを心の奥に押し込めず、そのまま抱いて暮らすこと。
たとえ眠れなくても、涙があふれても、
ご飯を食べられたら大丈夫と聞けば、
いずれ来るその時も乗り切れる気がしてきます。
それから、仏教でも人を苦しめる毒としている怒りは
コントロールが難しいと感じている人も多いはず。
対処法はあるのでしょうか?
「怒りはね、持っていても何もいいことはありません。
怒りを感じたらまず床に足を投げ出して座ってみてください。
この状態で怒りを持続できる人はまずいません。
怒りは上から下へのエネルギーですから、
下から見上げて怒るのはなかなかパワーがいることで、
1分以上はまず続きませんな」
最後に、誰もが心のどこかに持っている、
嫉妬について聞いてみました。
「嫉妬は、ほとんどの場合が思い違いで無駄な感情です。
嫉妬は「不当に奪われた」ということから発するものですが、
たいていは不当ではないんです。
例えばね「自分より早く出世しやがって」などという嫉妬心は、
自分が相手より能力がなかった、それだけのことなんです。
冷静になれば単なる勘違いだとわかって楽になります」
大切な自分からおりる
最後に、ままならない人生だからこそ、
その後半戦を心軽やかにすごすための秘策を聞いてみました。
「自分を大切にしないことですね。よく、自分を大切に、
といいますが、じゃあ「自分」ていったい何でしょう?
人はなぜ生まれていつ死んでどこへいくのか、
誰もわかりません。自分という存在には根拠も意味もないんです」
自分を大切にしないとか、人生には根拠がない、
などと聞くと、なんだかと空しい気持ちにもなりますが、
もう少し詳しい意味を聞いてみると……。
「自分になりたくてなった人なんてどこにもいません。
容姿も、名前も、他人から与えられたお仕着せの自分です。
そう考えれば、自分というのはこの世を渡るための借り物みたいなもの。
ならば力を抜いて、「大切な自分」から降りて、
たいしたことのない自分として生きていくほうがずっと楽に生きられます」
大切な自分から降りるというのは、
自分をないがしろにするということではなく、
自分を高め続ける競争から降りるということ。
南さんは人生をやりすごすという方法もあると言います。
「人生に意味はないというとね、じゃあ死ねばいいのか?
と聞かれるんですが、そうじゃない。意味などないんだから、
自分で取り組むべき問題を探すということです。
それは、自分が「やりたいこと」ではなく、
誰かのためになる「やるべきこと」です。そこに価値があります」
「やるべきこと」を見つけるのはそんなに簡単なことではなさそうです。
なにかヒントはあるのでしょうか?
「自分の中に立ち上がる問いを離さないことです。
自分の“べき”を淡々とやれば、
人生の終わりに“やるべきことはやった”ときっと納得できます」
「大切な自分」を降りてもいい。
それは同時に他人と深く関わっていくということなのかもしれません。
南さんは、人生の見方はひとつではなく、
別の視点があると教えてくれました。
人生後半戦の処し方をうかがいながら、
自分のことで精一杯の毎日を振り返り、
死ぬまでの生き方をもう一度じっくり考えてみたくなりました。
photo:枦木功
Profile
南直哉
1958年長野県生まれ。早稲田大学卒。百貨店勤務を経て84年曹洞宗において出家得度。福井県永平寺で修行の後、現在は福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)。『語る禅僧』(ちくま文庫)、『禅僧が教える 心がラクになる本』(アスコム)他著書多数。
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。