陶芸家 岡崎裕子さんのおへそ
作陶で目の前のことに集中する「内向き」の自分。
サーフィンで心を解放する「外向き」の自分。
相反する力はどちらも必要で、バランスが大事。
ろくろに向かう時間は、自分に向き合う時間でもある。和でも洋でもない器はシンプルさのなかに、岡崎さんらしさが宿る。
ひとりでサーフィンに行く
ちょうどいい波はなかなか来ないもの。
「思いどおりにいかない」経験は
何よりの自分へのプレゼント
鵠沼海外にほど近い場所にあるサーフショップ「シェアサーフルーム」を利用。ボードを預かってくれるので、ウェットスーツだけを持っていけばいい。ここには着替えのための部屋やシャワールームも完備。ボードにワックスを塗って手入れをしてからいざ海へ。海でサーフィン仲間と出会うことも多い。
大人になってサーフィンを始めるには
サーフィンは、サーフボードとウェットスーツさえあればできるので、ひとりでも気楽に始めやすいスポーツ。子育てが一段落したり、仕事のほかに何か趣味を持ちたいという40代、50代のビギナーも意外に多いそう。おすすめは、岡崎さんが利用している「ビーチタウン社」の「プライベートサーフィンレッスン」のような少人数制で行う、安全で丁寧なアウトドアガイドサービス。「サーフィンは、自分の時間と波を合わせてひとりで行くもの」とコーチを努める黒野崇さん。
※本誌『暮らしのおへそ Vol.32』に掲載された記事では、「黒野崇さん」のお名前を「黒崎崇さん」と誤って表記してしまいました。お詫びして訂正いたします。
出産を機に、個展の回数を減らしました。
大病をしたのを機に、
楽しんでもの作りをしようと思うようになりました。
やっと自分が心地いいペースで
仕事と暮らしが回りはじめたと思います。
朝7時。子どもたちを送り出したあと、岡崎さんは車でひとり鵠沼海岸へ。ボードを預けているサーフショップに立ち寄ってウェットスーツに着替えたら真っ赤なロングボードを担いで海へ。
サーフィンを始めたのは14年前。たまたま夫婦で通っていたフィットネスクラブにサーフィンのコースがあったそう。その後、出産、仕事などでしばらく遠のいていましたが、ごく最近また再開したとか。13時には海から上がり、シャワーを浴びて帰宅。帰ってくる娘たちを迎えます。
一方、週に3日は自宅から車で1時間ほどの横須賀のアトリエへ。ひたすら作陶の時間を過ごします。
「ろくろをひく作業は、肩が内向きになって、目の前にあるものに集中する内省的な時間なんです。でも、サーフィンをするとグッと胸が開くというか、まったく逆の動きなんですよね。粘土も海も、自然が相手で自分の思いどおりにならない、というところは共通しています。『内向き』と『外向き』という向き合い方のどちらもが、私にとっては必要なような気がします」
岡崎さんは、「イセッイ ミヤケ」の広報部を経て、陶芸の道へ進んだという異色の経歴の持ち主です。
「三宅一生さんのすぐ横で、クリエーションを見させていただいた時間はとても幸せでした。そのうち、横で眺めているだけでなく、自分の手で何かを生み出したくなったんです」と教えてくれました。
茨城県笠間の陶芸家森田榮一氏に弟子入り。家賃2万円の家に住み、ひたすら師匠の仕事場へ通うという5年間を過ごしたというから驚きです。
器を選んだのは、洋服を着替えると気分が変わるのと同じように、「生活のなかでスイッチになる」ものを作りたかったから。独立後に発表したトンボの模様の器はたちまち評判となり、テレビの取材を受けたり、CMに出演したり。でも……。
「私は、波に乗り切れなかった人なんだと思うんです」と笑う岡崎さん。娘を出産したこともあり、1年に6回開催していた個展を1回に。仕事の多くを断るようになりました。
「完全に子育てモードに変わったけれど、焦る気持ちはありませんでした。5年の修行時間をまったく長く感じなかったように、私の時間軸はゆっくりなのかしれません」
撮影:枦木 功 取材:一田憲子
※この記事は『暮らしのおへそVol.32』より抜粋しています。
続きは本誌でお楽しみください。
Profile
岡崎裕子
「イッセイ ミヤケ」の広報部に勤務。3年後に退職し、茨城県笠間市の陶芸家、森田榮一氏に弟子入り。4年半の修行の後、茨木県立窯業指導所釉薬科、石膏科終了。2007年神奈川県横須賀市にて独立。6歳と10歳の娘の母でもある。http://yukookazaki.com
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