第19回 祖父とヤクルトと左利き

夏井景子さんの想い出の味
2022.05.25


巷で話題のヤクルト1000をずっと探している。
寝起きがよくなるときいて、これはもう試してみたくてしかたない。もういい大人だというのに、私はいつも眠くて、朝起きるのがとても苦手だ。

そんな中、開店すぐのスーパーで、ヤクルト1000の6本入りを見つけた。値札のところに「おひとりさま1パックまで」と書かれていて、人気のほどがうかがえる。

ふらっと寄ったスーパーで出会えるとはラッキーと、浮かれてかごに入れ、購入して帰宅。朝ごはんを食べた後にどれどれと勢いよく飲んでみると、とんでもなく懐かしい味がした。
小さい頃、家の冷蔵庫に必ずあったヤクルト。そういえば祖父が毎日飲んでいたんだった。そうだったなぁと、飲み干したヤクルト1000の容器を見て懐かしくなった。

私の祖父、お父さんのお父さん。昔、私の家は旅館や料亭を営んでいたので、その時の社長だった私の祖父。祖父も父も母も、毎日本当に忙しそうだった。

祖父は背も高くて身体も大きくて、とても厳しい人だった。今このエッセイを書いていても、祖父のことが大好きだったという言葉は、正直あまり出てこない。もちろんかわいがってもらっていた記憶もあるけれど、怒られていた記憶のほうが強すぎるのだ。

私は物心ついた時から左利きだった。母親が子どもの頃左利きだったらしく、たぶんその遺伝。私の姉は右利きだけれど、妹も左利きなので、遺伝の可能性は高い。

母も父も、私の左利きを無理に直そうとはしなかった。時代も時代だし、左利きなことで若干の不便さはあるけれど、特に問題ないと思っていたのだろう。でも祖父だけは違った。大正生まれの祖父からしたら、左利きはあり得ないことで、一刻も早く矯正させないとと思っていたらしい。

小学校に入学した頃に、全然直る気配のない私を見て焦ったのか、祖父なりのやさしさなのだろうけれど「就職にひびくから」と全く心に響かないことを言い始め、厳しく矯正し始めた。

祖父がいる夕食は、子どもの私にとって苦痛でしかなかった。左手で箸を持つと、ピシャリと「景子、右手で食べなさい」と厳しく言われた。私が嫌な顔をすると、「10回でいいから右手で食べなさい」と全く許す気配はない。私は仕方なく右手で食べる。1回、2回と数える祖父。慣れない右手で箸を持って食べると、何もかもうまくつかめない。楽しくない。ごはんの味なんて全くしない。夕食のテーブルに祖父がいると嫌だった。

ある日もうがまんできなくて、「おじいちゃんと一緒に夕食を食べたくない。違う部屋で食べたい。左手で食べたい」と母に泣きながらお願いして、その日は違う部屋で母と2人でごはんを食べた。その翌日から、祖父は急に私に何も言わなくなった。そう、見かねた母が祖父に話をつけてくれたのだ。

この時のことは今でも母に本当に感謝していて、あのやさしい母がどんなふうにあの怖い祖父に話をしたのか、今でも謎だ。どうやって話をしたのか、母に聞いても覚えてないと言う。う〜ん謎だ。

そんな怖い祖父だけれど、冷蔵庫のヤクルトを飲みたいと言ったら、いつでもやさしい顔で飲ませてくれた。ヤクルトと、ヤクルトと同じ入れものに入っていた緑色のジュース。あれは一体何だったんだろう。いつもその2種類を祖父は冷蔵庫に常備して飲んでいた。冷蔵庫の中のヤクルトの定位置まで思い出せる。甘いヤクルトと、怖い祖父のやさしい顔。

大きくて強くて怖い祖父も、父が先に死んでしまって、驚くほどに急激に小さく弱くなっていった。私の名前を呼ぶ声も、以前のような張りのある声ではなくなってしまった。背中もどんどん丸くなっていって、父が亡くなった数年後に祖父も亡くなってしまった。

祖父に対しては、最後まで複雑な気持ちのままだった。かわいがってくれていたのだろうけれど、日々怒られた嫌な記憶は消えなくて、どんどん弱くなっていく祖父を目の当たりにしても、思春期真っ只中の私はやさしくすることもあまりできなかった。ヤクルトは、祖父との唯一と言ってもいいかもしれないやさしい思い出。

父のお墓参りをする時は、いつも必ず父の好きだった甘い缶コーヒーをお供えしている。今度は缶コーヒーと一緒に、祖父用にヤクルトも持っていこう。今まで持っていかなくてごめん。

そんなこんなで、私は今日もヤクルト1000を飲んで、ちょっと昔のことを思い出している。朝すっきり起きれることを願いながら。

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Profile

夏井景子

KEIKO NATSUI

1983年新潟生まれ。板前の父、料理好きの母の影響で、幼い頃からお菓子作りに興味を持つ。製菓専門学校を卒業後、ベーカリー、カフェで働き、原宿にあった『Annon cook』でバターや卵を使わない料理とお菓子作りをこなす。2014年から東京・二子玉川の自宅で、季節の野菜を使った少人数制の家庭料理の料理教室を主宰。著書に『“メモみたいなレシピ”で作る家庭料理のレシピ帖』、『あえ麺100』『ホーローバットで作るバターを使わないお菓子』(ともに共著/すべて主婦と生活社)など。 
http://natsuikeiko.com   Instagram:natsuikeiko

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