手のひらの力を見直してみませんか? vol.1
今月の先生:山口 創先生(桜美林大学准教授 身体心理学者)
今までさまざまな「先生」を取材してきた「からだ修行」、今回はいつもより少し背筋を伸ばし、大学の先生にお話を伺ってきました。誰もが持っている、「手の力」がテーマです。
photo:砂原 文 text:田中のり子
私、田中は、長年生理痛に悩まされ続け、過去にいろんな薬や治療法を試してきました。お灸をしたり、ホメオパシーのレメディやハーブのサプリメントを飲んだり、血行をよくする体操をしてみたり……。それぞれに、いいところがたくさんあったのですが、「結局、いちばんコレが効くな」と個人的に実感があるもの、それは「手当て」でありました。つまり、自分の手のひらを痛い部分(下腹部)にあてておくのが、何だかいちばん効果があるような気がしていたのです。
世界各地で古くから治療法として「手当て」が用いられてきたこと、現在もさまざまな療法で「手当て」が実践されていることなどは、薄々知っていたものの、「そもそも手の力って何なんだろ~?」と考えていたとき、たまたま本屋さんで見つけたのが『手の治癒力』という本。その著者が、今回取材させていただいた山口創先生です。
山口先生の専門は「身体心理学」。西洋で生まれた心理学は、当初はもっぱら心のみに注目し、体は物質的なものとして分けて扱われていましたが、東洋では「心身一如」(心と体はひとつである)という思想が一般的。「心を扱うならば、体を無視してはいけない」と生み出されたのが「身体心理学」という学問なのだそうです。その考え、今までさんざん「からだ修行」してきた身としては、何だか深くうなずける姿勢であります。
もともとは大学院で、「パーソナルスペース」(他人に近づかれると不快に感じる空間のこと。対人距離)について研究をしていた山口先生。学びを深めていくうちに、「距離をどんどん近づけて、最終的にゼロ(=接触)にしたらどうだろう?」と思い当たります。そこで「タッチング(ふれること)」に関する研究を探してみたところ、当時はまだ、世界中でもほとんど研究が見当たりませんでした。しかし先生は「ふれあいは、人間に関する本質的なテーマだ」と直感的に感じとり、ご自分のライフワークにしようと決心したそうです。
心理学というジャンルで研究を続けていると、その根幹のほとんどが、乳児の時代にさかのぼるといいます。「ふれる」ということは、赤ちゃんにとってももちろん、非常に大事なコミュニケーション手段であり、調べるうちに、興味深いデータがいろいろと見つかっていったそうです。
「それらについて発表したり、子育てについての本を書いたりしているうちに、まったくの予想外なことだったのですが、看護師さん、鍼灸師さんなど、医療現場に携わる方々からの反響がすごかったんです。その反響の大きさに驚きつつ、それをきっかけとして、ふれることの『癒し効果』についても、本格的に研究をしていくようになりました」
そもそも「ふれること」は、「ゆりかごから墓場まで」関わること。生まれたときの無防備な赤子の状態から、高齢者となり緩和ケア、終末ケアを受けるに至るまで、人生に深く関わってくることです。
「医療というと、薬を飲んだりとか手術してもらったり、どうしても『治してもらう』という受け身なものを想像しがちですが、『ふれること』は、何の知識や技術がなくても、誰でも実践でき、なおかつ心身に大きな癒しを与えてくれるもので、痛みを抑えることも大いにある。多くの人がそれを忘れてしまっているので、もっと手の力を思い出してもらいたいと考えています」
では実際に、手でふれることには心と体にどんな効果があるのか、ふれる先のもの=「皮膚」とはそもそも一体どんなものなのか、先生の著書も参考に、ひも解いていこうと思います。
人は「頭だけで考え、判断している」と思いがちですがそうではなく、「皮膚」も大事な役割を果たしています。体の中でもっとも大きな感覚器官である皮膚は、「露出した脳」と言われるほどの情報処理器官。わずか1ミクロン(100万分の1メートル)の凹凸も判別でき、光や音なども感じ取ることができるのです。
「皮膚の感覚は、心にも大きな影響を与えています。たとえばアメリカで行われたある実験では、実験参加者を実験室に連れていく途中に、温かいまたは冷たいコーヒーを持ってもらい、その後、とある人物についての特徴が書かれたリストを読ませ、その人の印象について語ってもらうという比較を行いました。温かいコーヒーを持った人は、その人物の人格を『親切』『寛容』と判断し、さらに実験のお礼として『友人へのプレゼント』『自分用の品』のどちらかを選んでもらうと、前者を選ぶ人が多く、逆に冷たいコーヒーを持った人は後者を選ぶ人が多いという結果が出たそうです。つまり『皮膚を温めると、心も温かくなる』ということが、実験によって証明されたのです」。
また別の実験では、ある人たちはざらざらなもの、ある人たちはなめらかなものにさわりながら、2人の人物のあいまいな会話の一節を読んでもらったところ、なめらかなものにさわっている人のほうが、より「その2人は調和的な心地よい関係性だ」と判断したそう(それにしても研究者の方々は、いろんな実験方法を考えるものですね!)。
確かに私も、重くてゴワゴワした服を着た日は、何だかイライラして怒りっぽくなったりするような気がするし、逆に奮発して買った肌ざわりがいい服を着た日は、まわりの人にもやさしくなっているような気がします。自分は脳を使って合理的な判断をしているつもりでいても、実は皮膚感覚でものごとのとらえ方が左右されていたりする。肌ざわりが心の状態をもつくり出しているのです。
温かな皮膚同士のふれあいは心の温かさを生むし、そのふれた皮膚がなめらかであれば、調和的で心地よい気分になれる。非常に敏感な感覚を持つ肌と肌とのふれあい(=スキンシップ)は、ダイレクトに心に影響するようです。
Profile
山口 創
早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。専攻は臨床心理学、身体心理学。桜美林大学リベラルアーツ学群教授、臨床発達心理士。著書は『手の治癒力』『人は皮膚から癒される』(草思社)、『皮膚感覚の不思議』(講談社)、『幸せになる脳はだっこで育つ。』(廣済堂出版)、『子供の「脳」は肌にある』(光文社)など多数。
田中のり子
衣食住、暮らしまわりをテーマに、雑誌のライターや書籍の編集を行う。『ナチュリラ』(主婦と生活社)は創刊当初からのスタッフ。構成・執筆をした『これからの暮らし方2』(エクスナレッジ)が好評発売中。
肩の力を抜いた自然体な暮らしや着こなし、ちょっぴり気分が上がるお店や場所、ナチュラルでオーガニックな食やボディケアなど、日々、心地よく暮らすための話をお届けします。このサイトは『ナチュリラ』『大人になったら着たい服』『暮らしのおへそ』の雑誌、ムックを制作する編集部が運営しています。